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人権と外国人参政権 [一日一歩前へ!]

人権とは、ボーダーレスな概念である。
「全ての人が等しく持つ生来の権利」なのだから、国境も国籍も関係なく、
世界どこでも誰でも、生命の自由、言論・思想・信教の自由、幸福追求権、
参政権がある。
こんなに博愛的な概念はなかなかないのではなかろうか。
それを「永久に不可侵の権利」と保障した日本国憲法は、やはり素晴らしい
理念をもっているように思える。

しかし、である。
現実には、人権が保障されていない国・地域があるのだ。
それはまず、アフリカの一部で、内戦が長年続いており政府すらもないような
国々。そのような国ではまず秩序の安定が第一で、憲法や人権どころではない。
そして意外かもしれないが、先進国にもある。
代表はアメリカ、イギリスなどである。
「臣民(国民)の権利」はあるが、人権は保障されていない。
(ついでに言うと、わたくし達が崇め奉っている「国民主権」もこの両国にはない。
正確には「主権」すらもないのである)

わたくし達日本人には、人権と国民の権利が一体どう違うのか区別できないかも
しれないが、よくよく考えてみよう。
重ねて言うが、人権とは「人であれば国籍など問わず誰でも有する権利」である。
日本でも米国でも、アフリカでもアマゾンの奥地でも共通している普遍的なものの
はずである。
しかし内戦状態では明日の生命さえ危ない。また法があったとしても機能していない
場所では、参政権や思想・言論の自由など無意味である。幸福追求権に至っては
笑い事でしかないのではないか。
まずこの矛盾に気がつかないだろうか。

英国とアメリカが人権という概念を使わないのは、人権がフランス革命で革命派が
信奉した架空の概念だからである。
この両国は「国民の権利」を「人権」としなかったことが、後々になって政治に
おいて健全な意識を保っている大きな理由であるように思える。

すなわち、国の権力(政治、司法など)に外国人を関わらせないで、
外国の干渉を極力排除するのは当然のことである。
それが当然のままであり続けるのは、参政権は自国民の権利であるが、外国人には
与えられないものという正しい認識が憲法にあるからだと思うのである。
健全な国家意識、政治意識はボーダーレスではあり得ない。

参政権は基本的人権の一つである。それが人権として憲法で保証されている以上、
誰にでも平等に与えられなくてはならないものになる。自国人に限る事はできない。
それが人権の本質=ボーダーレスである。

これは、日本国憲法を読んでもわからない。
第11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に
保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の
国民に与へられる。」など、基本的人権は日本国民限定のもののように読めるから
である。

しかし以前のコラム『誰も言わない「人権」の本質』で書いたが、日本国憲法は
マッカーサーの指示によるもの、条文作成もアメリカ人による押し付け憲法である。
英原文を日本語に訳しただけである。従って本当の条文の意味や憲法精神は、
原文を読むとわかるのである。

原文を読むと恐ろしい事実に気づく。
基本的人権を定めている第3章は、日本語版では「国民は」「すべて国民は」
で始まるが、原文には「日本国民」を表す言葉が見当たらない。
第13条「すべて国民は、個人として尊重される。」は”All of the people shall be
respected as individuals.”だったのである。「すべての人は」という訳が正しいのに、
「すべて国民は」に意図的に変えられたのである。
これは誤訳ではなく、憲法として国会で可決する際に、変更された部分とのこと。
やはり憲法本来の意図では、第3章で定める諸権利は日本国民限定のものではなく、
言葉通りすべての人に共通する権利に言及したものと見るべきである。
となると、外国人参政権は人権であることを理由に、最高法規である憲法によって
保障される事も理屈としてはおかしくない。

反対派は「外国人参政権は憲法違反だ」と言うけれども、根拠としては非常に頼りない
のではないだろうか。そもそも憲法自体が、占領期にGHQが作らせた国際法無視の
「押しつけ憲法」で正統性がない上に、その憲法が「永久不可侵」であるとする
人権には国境・国籍の概念がないのだから。

人権侵害救済法案や外国人地方参政権のような日本人には全く有り難くないものを
阻止するためにはどうしたらいいだろうか。
日々考えて辿りついたわたくしの結論は、「人権」の否定である。憲法違反だとか
思想の自由の侵害だ、というのも間違いではないけれど、もっと本質をついていると思う。
実体のない、普遍性のないものを崇め奉ってわたくし達が得たものは、
政治上の自国人と外国人の区別さえ自ら手放す、健全な意識の喪失ではなかっただろうか。
しかし虚像を信じる事ほどむなしいことはないと思う。

16日、次期国会で人権侵害救済法案の提出が改めて発表された。
本当に時間がなくなった。
もっともっと声を大にして叫んでいこう。

 


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