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真実は虚偽に勝る 前編 [一日一歩前へ!]

ちょうど1年前の4月10日、ほんの小さなニュースが目に留まった。
ポーランド大統領カチンスキ氏夫妻が乗った飛行機がロシアで墜落、搭乗者
全員死亡との報だった。大統領は「カチンの森事件」の追悼式典に出席する
ために向かっていたのである。

ポーランドといえばアウシュヴィッツ、しかしどこにあるかも知らない人が
ほとんどという位日本人には馴染みの薄い国である。だが、ショパンやノー
ベル化学賞と物理学賞を受賞したキュリー夫人の祖国でもあり、非常に文化
・教育水準の高い国である。
しかしポーランドは東西をロシアとドイツに挟まれていることから両国から
何度も侵略を受け、大変辛い時代を長く送ってきた。「カチンの森事件」は
その中で最も悲惨な事件である。

1939年9月 ドイツとソ連は突然不可侵条約を結び、ポーランドに侵入し
ポーランド全土を占領、分割したことから第二次世界大戦は始まった。ソ連が獲
得した東部ポーランドで、わずか20ヶ月で44万人以上が銃殺・追放・投獄の
憂き目にあい、約25万人が捕虜となった。カチンの森事件はその最中に起き
た、ナチスのユダヤ人大虐殺に次ぐ大量虐殺である。スターリンの命令によ
ってソ連収容所に拘禁されたポーランド人捕虜のうち約25000人が姿を消し、
指導階級層の約4000名がスモレンスク(現ロシア)近郊のカチンの森で秘密警
察によって銃殺刑で処分されたのだ。1940年4〜5月のことである。残りの約
2万人も同様に処刑されてしまったと見られる。

カチンの森事件はそれだけでは終わらなかった。独ソ戦が始まり、1943年に
ドイツ軍がスモレンスクを占領した際にこの大量のポーランド人捕虜の銃殺
死体を発見した。世界中にこの虐殺事件が報道され調査が開始されると、捕
虜の身元がソ連に収容されたポーランド人と判明した。捕虜の両手を縛る縄
の結び方などからソ連の犯行を示す証拠があったが、スターリンは断固とし
て認めないどころか罪をナチスドイツになすり付けた。ドイツは敗戦国であ
る上にユダヤ人大量虐殺を犯していたこと、またソ連の同盟国である英国・
米国も隠蔽に加担したことからも、この事件の首謀は長らくナチスとされて
きた。ソ連が証拠となる機密文書を公開し、スターリンの命令で行なわれた
と認めたのは1990年のことである。
2010年4月、プーチン首相がソ連の責任を認めたことでようやく和解をみた。
カチンスキ大統領が墜落事故で死んだのはその直後のことだった。

しかしロシアの隠蔽はまだ続く。1年後の今年4月10日に時事通信が次の報道を流した。
『(ポーランド大統領墜落事故から1年後の)4月9日にコモロフスキ現大統
領のアンナ夫人が遺族一行を連れ事故現場を訪れた。しかし、一行が目にし
たのは、いつの間にかロシア側によって交換された碑文だった。 
旧碑文には、スモレンスク郊外で第2次大戦中、ポーランド将校が旧ソ連秘
密警察に大量虐殺された「カチンの森事件」について明記されていた。しか
し、交換後の碑文からは抹消されていた』

自分に都合の悪い真実の隠蔽・歪曲・抹殺は、世界共通の左翼の常套手段で
ある。その徹底ぶりを示す見本としてはじつにお見事、の一言に尽きる。
彼らは真実を曲げる事に対して何の後ろめたさも感じないのだろうか。
おそらく違うだろう。後世に誇れるものがないからそうせざるを得ないので
ある。そうして過去を切り捨てていかざるを得ないために、歴史の積み重ね
というものが存在しないのである。
もし本当に何の感情もなく行なっているのなら、それは精神異常である。
 

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