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人権と外国人参政権 [一日一歩前へ!]

人権とは、ボーダーレスな概念である。
「全ての人が等しく持つ生来の権利」なのだから、国境も国籍も関係なく、
世界どこでも誰でも、生命の自由、言論・思想・信教の自由、幸福追求権、
参政権がある。
こんなに博愛的な概念はなかなかないのではなかろうか。
それを「永久に不可侵の権利」と保障した日本国憲法は、やはり素晴らしい
理念をもっているように思える。

しかし、である。
現実には、人権が保障されていない国・地域があるのだ。
それはまず、アフリカの一部で、内戦が長年続いており政府すらもないような
国々。そのような国ではまず秩序の安定が第一で、憲法や人権どころではない。
そして意外かもしれないが、先進国にもある。
代表はアメリカ、イギリスなどである。
「臣民(国民)の権利」はあるが、人権は保障されていない。
(ついでに言うと、わたくし達が崇め奉っている「国民主権」もこの両国にはない。
正確には「主権」すらもないのである)

わたくし達日本人には、人権と国民の権利が一体どう違うのか区別できないかも
しれないが、よくよく考えてみよう。
重ねて言うが、人権とは「人であれば国籍など問わず誰でも有する権利」である。
日本でも米国でも、アフリカでもアマゾンの奥地でも共通している普遍的なものの
はずである。
しかし内戦状態では明日の生命さえ危ない。また法があったとしても機能していない
場所では、参政権や思想・言論の自由など無意味である。幸福追求権に至っては
笑い事でしかないのではないか。
まずこの矛盾に気がつかないだろうか。

英国とアメリカが人権という概念を使わないのは、人権がフランス革命で革命派が
信奉した架空の概念だからである。
この両国は「国民の権利」を「人権」としなかったことが、後々になって政治に
おいて健全な意識を保っている大きな理由であるように思える。

すなわち、国の権力(政治、司法など)に外国人を関わらせないで、
外国の干渉を極力排除するのは当然のことである。
それが当然のままであり続けるのは、参政権は自国民の権利であるが、外国人には
与えられないものという正しい認識が憲法にあるからだと思うのである。
健全な国家意識、政治意識はボーダーレスではあり得ない。

参政権は基本的人権の一つである。それが人権として憲法で保証されている以上、
誰にでも平等に与えられなくてはならないものになる。自国人に限る事はできない。
それが人権の本質=ボーダーレスである。

これは、日本国憲法を読んでもわからない。
第11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に
保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の
国民に与へられる。」など、基本的人権は日本国民限定のもののように読めるから
である。

しかし以前のコラム『誰も言わない「人権」の本質』で書いたが、日本国憲法は
マッカーサーの指示によるもの、条文作成もアメリカ人による押し付け憲法である。
英原文を日本語に訳しただけである。従って本当の条文の意味や憲法精神は、
原文を読むとわかるのである。

原文を読むと恐ろしい事実に気づく。
基本的人権を定めている第3章は、日本語版では「国民は」「すべて国民は」
で始まるが、原文には「日本国民」を表す言葉が見当たらない。
第13条「すべて国民は、個人として尊重される。」は”All of the people shall be
respected as individuals.”だったのである。「すべての人は」という訳が正しいのに、
「すべて国民は」に意図的に変えられたのである。
これは誤訳ではなく、憲法として国会で可決する際に、変更された部分とのこと。
やはり憲法本来の意図では、第3章で定める諸権利は日本国民限定のものではなく、
言葉通りすべての人に共通する権利に言及したものと見るべきである。
となると、外国人参政権は人権であることを理由に、最高法規である憲法によって
保障される事も理屈としてはおかしくない。

反対派は「外国人参政権は憲法違反だ」と言うけれども、根拠としては非常に頼りない
のではないだろうか。そもそも憲法自体が、占領期にGHQが作らせた国際法無視の
「押しつけ憲法」で正統性がない上に、その憲法が「永久不可侵」であるとする
人権には国境・国籍の概念がないのだから。

人権侵害救済法案や外国人地方参政権のような日本人には全く有り難くないものを
阻止するためにはどうしたらいいだろうか。
日々考えて辿りついたわたくしの結論は、「人権」の否定である。憲法違反だとか
思想の自由の侵害だ、というのも間違いではないけれど、もっと本質をついていると思う。
実体のない、普遍性のないものを崇め奉ってわたくし達が得たものは、
政治上の自国人と外国人の区別さえ自ら手放す、健全な意識の喪失ではなかっただろうか。
しかし虚像を信じる事ほどむなしいことはないと思う。

16日、次期国会で人権侵害救済法案の提出が改めて発表された。
本当に時間がなくなった。
もっともっと声を大にして叫んでいこう。

 


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政治家と人間性 [一日一歩前へ!]

これは、欧米のある政治家の人柄についての評価です。

6歳で母親を亡くし、10歳の時には父親が蒸発。
兄弟達の面倒を見るために、苦学して法律を学び、弁護士となった苦労人。
もともと正義感が強かったらしく、弁護士として、
貧しい庶民の弁護を多く引き受けて有名になる。

性格はとてもまじめ。自分の理論を信じ、
それにしたがって自分の行動を律することができる人物。
金銭にも潔癖。最高権力者になっても自分の屋敷などを持とうとしなかったほど
私生活は至って質素で、紳士的な服装や振る舞いは広く尊敬を集めた。


もし「人間力」という言葉が当時あったら、彼は間違いなく「人間力の高い人」
だったと思われる内容です。
こんな人物がリーダーになったら、いかがでしょうか?
さぞかし日本も救われると思われる方も、いらっしゃるのでは??

さてこの政治家は、一体誰でしょう???




答えは、フランスの「マクシミリアン・ロベスピエール」です。

この名前に聞き覚えのある方もいらっしゃるでしょうか?
そう、フランス革命のジャコバン党の党首で「恐怖政治」を行って
国王ルイ16世とマリー・アントワネットはじめ、
反革命派だけでなく無実の下層階級や子供までも次々と処刑した、
あのロベスピエールです。

ある資料によれば犠牲者数は
「パリで革命裁判所が設置された1793年4月から94年6月10日までに、
1251人が処刑されたのに対し、審理を経ない略式判決が許された僅か47日間で、
パリの断頭台は1376名の血を吸い込んだ。
恐怖政治のために反革命容疑で逮捕拘束された者は約50万人、
死刑の宣告を受けて処刑されたものは約1万6千人、
それに裁判なしで殺された者の数を含めれば約4万人にのぼるとみられる。」

それもひとえに、「自分の理論」つまり左翼思想の親、ルソーの思想に忠実だったからで、
「それにしたがって自分の行動を律」したからなのです。


「人間力」という言葉が一般的になってから、政治家にもそれを求める声があります。
必要ないとは言いませんが、彼を見ると人間力と政治家として優れているかどうかは
全く別のもの、と思いませんか。

ロベスピエールのようにものすごい秀才で、潔癖で腐敗やスキャンダルとも無縁で、
ひたすら国のためを思い、自分の信念に忠実だったとしても、
行動の基となる思想が国民や国家のためにならないことだってあるのです。

特に、経験の浅い若い政治家は信念が定まっていないこともあり、
色々な意味で未知数です。
するとわたくし達有権者は、可能性や政治に対する情熱に対して
一票を入れることがあります。
ですが、どんなに情熱があっても、政治力があっても、人間性が良くても、
思想が間違っていたら全く意味がありません。

政治家は人間性でなく、思想で判断すべきではないでしょうか。


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勉強を軽視する大人たち [一日一歩前へ!]

わたくしは子供の教育にはまだ無縁である。学校関係者でもなく、
子供を持つ親でもない。
しかし周りに熱心な教育者がいるお陰と、またいずれ子供を持つようになる
身であることから、子供の教育に並々ならぬ関心を持つようになった。
子供達は日本の未来を背負う大事な存在である。その子供にどんな教育を
すべきか、親としてどんな姿勢が望ましいのかなどを、教育のプロからも、
実際に子育て中の方などからも話を聞いて学んでいる。
今回のテーマは子供教育を取り上げた。教育には素人だが、
日本の将来に関しては真剣に考えている者の意見として、最後まで
読んでいただければ幸いである。

そんなわたくしが、ある疑問を持つようになった。
大人は子供に勉強させることに積極的なのだろうか、ということである。

「子供はよく学び、よく遊べ」と言うが、
学校を休んでまで旅行に連れて行く親。塾に通わせるが習い事の方が多い親。
「成績がいいだけじゃ意味がない」と言ってちゃんと勉強させない親。
お子さんを育てている親の本音を聞くと、勉強を軽視しているなと思うこと
がとても多い。

子供の教育に真剣な親は、小さな頃から英才教育のような特別な教育を
することが多いが、それがスポーツだったらどうだろう?
イチロー選手や卓球の福永愛選手のような、特に優れた選手は3歳頃から
特訓の日々を過ごしてきているから、もしかしたらそうなるかもしれない。
将来有望株だと期待が膨らむだろう。その親や、教育姿勢に対しても
好意的に見られがちである。

しかし、それが勉強になると話は変わる。
前者の例のように同じような熱意で、小学校低学年から塾通いさせ、
休みに旅行も行かないでひたすら勉強させている親を、
一般的にはどんな目で見るだろうか?(わたくしが知る限り、
ここまで徹底して勉強させられている親はほとんどいないのが現実だが)
「まだ小学生なのに勉強ばかりさせて可哀相」
「子供は遊ばせてあげないと不健康」
と言う声ばかり、よく聞く。
勉強させることが、まるで子供へのイジメであるかのようだ。

念のために言うと、子供にスポーツをさせることに反対しているのではない。
同じような教育方針で、それがスポーツか、勉強かの違いだけなのに、
なぜこれほど反応が違うのか。野球やサッカーを熱心にさせるように、
勉強に熱心な親がいてもいいではないか、と疑問に思うのである。
しかし塾に通わせていても習い事をさせたり、旅行に連れて行かないと
罪悪感を持つ親が多いらしい。

いつから、なぜこんな意見が多数派になったかは不明だが、
一昔前の学歴至上主義時代が過ぎて、勉強が肯定的に捉えられなくなっている
ことは確かである。
そのいい例で、よく言われるのが「一流大学卒でも人格がいいとは限らない」
「勉強ができても人間性ができていないとダメ」という格言(?)である。
それを真顔で語る大人がいるのには驚く。
しかし人間性が良くない人は成績が悪くても良くないのであって、それと学力
との関連は全くない。冷静に考えればわかることである。
確かに人間性が素晴らしいに越したことはないが、かといって人間性が知識を
カバーできるものなのか。これも別の問題ではないだろうか。
そのことをさも正しいことのように言う大人がいるが、このような間違った
思い込みは、子供に偏見を植え付け、人生に悪影響を及ぼすもとである。

物事を極めるには凄まじい努力と精神力が必要で、その過程で人間性が
磨かれていくことは、学問、実業、スポーツどの分野も変わらない。
しかし一般的には学力と人間性の両立は難しいもののように言われる一方で、
スポーツは心身を鍛え、人格を高める素晴らしいものと一様に信じられている。
しかし集団強姦、暴力、八百長事件等など、スポーツ選手・関係者が犯す数々
の事件を知ると、その説は正しいのかと疑問に思う。
昔ならまだしも、今はもうスポーツと人格形成はあまり関係がなくなっている
のではないだろうか。

一般的な大人によくあるこれらの現象を観察すると、大人自身が勉強嫌いの
病気にかかっているように思えてくる。大人が勉強を否定したら、その親を
真似して育つのだから、子供も勉強しないし、学力も落ちて当然である。
しかし子供達が勉強しなかったらどうなるか。
彼らがいい大学にもいい会社にも入れないことが問題なのではない。
国が成り立たなくなるのが問題なのである。

国を根本的に支えるものは、ひとえに学問の力である。
例えば、何百万もの世帯に一斉に電力を送ることができるのは、発電施設が
整っており、そのための技術者がそろっているからである。それだけ科学技術
が進んでいるということである。
現代の複雑な政治システムが機能しているのも、証券や株取引が瞬時にできる
のも、学問と研究があってのことである。
わたくし達の生活水準の高さは、今までの学問研究の蓄積の上に成り立っている
のである。
スポーツは国を豊かにするものではない。国が豊かだから、わたくし達も
スポーツを楽しむことができるのである。
わたくし達は日本の豊かさを享受しながら、
このことを忘れてはいないだろうか。

教育はご家庭の考えや事情に基づくものなので、基本的にはいろいろな考えが
あっていいと思っている。が、親の歪んだ考えが子供の学力・精神面の成長を
阻害することが非常に多いことや、それが国を滅ぼす危険性を見て、あえて苦
言を呈した次第である。
子供達の健全な将来のためにも、ぜひ正しい認識をもって取り組んでいただき
たいと心から願っている。

 

 


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”行間読み”のすすめ [一日一歩前へ!]


学校の国語の授業で「行間を読め」と言われた事を覚えておられる方も
いるのではないでしょうか?わたくしは得意ではなかったけれども、
行間読みができると非常に役に立つことを、今になって感じています。

「行間を読む」とは「空気を読む」とほぼ同じです。
行間にあるもの、つまり文字や文章で表されない状況や心情といったものを
意識し、察することです。
言語外の情報に対する感覚を磨き続けると、
情報に対する感度が上がり、確かな目と判断力も養われます。
「1を聞いて10を知る」ことも夢ではありません。

学校では主に国語の授業でしかやらなかったと思いますが、
行間読みは、ジャンルを問わず文章全般、メディアの発信する
新聞、雑誌、テレビ番組まで全ての媒体に活用できます。
テレビ番組で行間を読むのはかなり難易度が高いのですが、
できないことはありません。
媒体が発信する情報の行間を読む事ができれば、情報発信側の意図を
読み取る事ができます。対象が小説からメディアの発信情報に代わっても
それが行間読みの主目的に変わりはないのです。

我流ではありますが、わざわざ行間読みの特別なトレーニングをしなくても
このブログを読んで下さる皆様の日常の範囲内で行間読みが
できるようになる方法を披露しようと思います。
これはわたくしが数年かけて行ってきた事をまとめたものです。

①テレビ、できれば新聞からも距離を置く(見るのをやめる)
対象から距離をおいて、ちょっと遠くから眺める、その距離感が
物事の本質をつかんだり行間を読む事を容易にします。
その点で行間読みが一番簡単にできるのは、やはり活字です。
それもその日のうちに状況が変わるような媒体は避けたほうがいいので、
雑誌よりも本のほうをおすすめします。
先にも書いたように、テレビでの行間読みは最も難易度が高い上に
情報操作が最も激しいので避けるべし。
まずは簡単なところで練習を積む、これが上達のポイントです。

②正しい知識を知る、学ぶ
政治、経済、歴史、防衛、軍事、どんな分野でも正しい知識を自らもつことは
情報の真偽を見分ける基礎です。
正しい知識を伝えるもの、論理的に正しいもの、思想的に健全なもの、
裏付けがきちんとあるなど、いわゆるスジのいい書物を読みましょう。
どの本を選ぶかは大切ですが、名著と言われるものなら間違いありません。
(売れている本が名著とは限らないので、ご注意を。)
これで①のトレーニングも同時にできます。
聞くところによると、情報操作が入っていないテレビ番組はなく、
動物番組でさえも情報操作が入っていると言われます。
詳しい理由は後述しますが、テレビ・新聞からきちんとしたスジのいい知識を
得る事はまず不可能と心得ましょう。

③自分で情報発信をする
大多数の人は情報を受け取るだけです。しかし発信側になってみると、
書き手の言葉遣いや、どの視点でものを見ているのか、といった要素が
気になるようになります。私自身が、文章を書くようになって初めて
書き手の意図のような、それこそ文章に書かれていないことがわかるように
なりました。
やはり、同じ立場にならないとわからないことはあるものです。

たとえばブログで、①②で読んだ本の書評を書いてみたり、
日本の政治や危機に対して自分の意見を表現してみてはどうでしょうか。
短くてもいいので、自分の言葉で、縷々つらつらとではなく論理性を
気にしながら、きちんと文章を書いて発表することは立派な情報発信です。

文章でまとめる事で①と②で得た情報を整理し、活用する事ができますし
発信する事で更に情報が必要ということも自覚することができます。
「今日は○○という本を読んだ。何ページのどこどこが面白い」
というような、ほんの1行で十分です。
誰かに読んでもらう事やほめてもらう事が大事なのではなくて、
情報を発信する事の練習だと割り切ってやってみましょう。

この3つのポイントはどれからはじめてもいいのですが、
同時並行してやることで素晴らしい相乗効果があることは、
わたくしが身をもって感じています。

情報操作や洗脳というのは受け手の無意識のうちに、それとわからないように
そっと行われるものです。かつてGHQが日本占領期に行った
洗脳プログラム「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
(日本人に戦争に対する罪を植え付けるブログラム)」の一環である
ラジオ番組では、「(あくまでアメリカにとっての)8割の真実と2割の嘘」
を交えて大東亜戦争を語る事で、日本人全員に贖罪意識を
植え付けるのに見事に成功しました。
占領はとうの昔に終わりましたが、メディアによる情報操作は今でも続いています。
大手メディアはテレビ、ラジオ、新聞、雑誌全て連携しているため、
どれも情報操作の主体なのです。そしてこれによって世論は形成されています。
つまり世の中の99%の情報・意見は情報操作がかかっていると心した方が良い
のです。


できるだけポイントを絞ってお伝えしてみました。
それでも難しいと思われるかもしれませんが、情報が溢れるこの社会の情報は
あまりにもスピードは早すぎるし、量は多いけれど偽情報や、いい加減なもの
ばかりです。
そんな環境で、情報に対する確かな目とセンスは一朝一夕で身につけられる程
簡単なことではありません、と言いたいのです。
しかし「行間を読む」ことの基本、すなわち、その世界から距離をおいて、
ちょっと遠くから眺める、その距離感が物事の本質をつかむことを容易にするの
ですが、ご紹介した3つのポイントもそれが基本にあります。

実証されたわけではありませんが、「行間を読む」ための3つのポイントが
意図的な情報操作にかからないだけではなく、洗脳からも抜けることができる
その糸口になるかもしれません。
ぜひ、やってみて下さいませ。 
 

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裁判官が家族崩壊に加担! [一日一歩前へ!]

あの手この手で進む日本の崩壊。
その最も有力な工作組織は、言わずと知れた与党・民主党です。

そもそも日本の崩壊は、家族の崩壊から始まっています。
GHQは占領期に様々な改革を行わせましたが、日本人の強さは家族にある
として民法の家族規定を改めさせました。そして核家族化を促進するために、
住宅の間取りにまで手をつけ、徹底させたのです。
親殺し、子殺し、亡くなった親の年金をもらうために死亡を隠匿する、
といったおぞましい事件の数々の源泉は、ここにあります。

家族の崩壊は、社会の崩壊であり
社会の崩壊は、国の崩壊である。
民主党は夫婦別姓にすることで、これを更に促進させようとしている
日本人の敵です。

しかし敵は民主党だけではありません。
法秩序を司る裁判官までもが、それに加担していることが明らかになりました。

『非嫡出子の相続差別は違憲…大阪高裁で確定』
結婚していない男女の子(非嫡出子=婚外子)の相続分を結婚している
夫婦の子(嫡出子)の半分とする民法の規定について、大阪高裁が遺産分割
審判への抗告に対し、法の下の平等を定めた憲法に反するとして、婚外子に
も同等の相続を認める決定を出したことが分かった。最高裁は95年、婚外
子の相続規定を合憲と判断。これに対し、高裁の赤西芳文裁判長は「嫡出子
と婚外子の区別を放置することは、立法府の裁量判断の限界を超えている」
と是正の必要性について言及した。
(中略)
赤西裁判長は、親子関係に対する国民の意識も多様化していて民法の規定が
法の下の平等に反すると判断。「子の法律上の取り扱いを嫡出子か婚外子か
によって区別することはいわれない差別を助長しかねない」と指摘した。
その上で家裁判断を変更、婚外子に嫡出子と同等の相続を認めた。
(毎日新聞 10月4日11時48分)


「親子関係に対する国民の意識も多様化していて民法の規定が法の下の平等
に反する」とは、ずいぶん聞こえが良く、もっともらしい理由です。しかし
ことは家族崩壊、ひいては社会の崩壊にも繋がる極めて重要な問題です。
結婚してもしなくても二人の間に生まれた子供が同じ扱いを受けるとなると、
結婚し、同じ姓となり、家族をつくる意味が薄れるのは言うまでもありませ
ん。

時代に合わせていくことは大事なことです。
しかしそれは、文化の継承などのような、良い方向性の変化に限られます。
家族が崩壊し、社会も荒廃している現状に合わせることが、果たして
良い変化と言えるでしょうか?

そもそも時代に沿うように判決を下すのが裁判所の役目ではありません。
裁判所・裁判官の役目は言うまでもなく法秩序を守ることです。
法律や規則は「決められているから、守らなければならないもの」と
思われがちですが、実際はある倫理観や道徳観に基づいているし、
その法律が目指すものも描かれています。
というより、法律はそれらを守るために明文化された、砦や鎧のような
ものなのです。
つまり、本当に守るべきものを厳密に言えば、法律の条文ではなく
日本らしい道徳、文化、家族ということができます。

赤西裁判長は婚外子の平等を重く見ていますが、その判断は極めて不適切
です。しかし最高裁に持ち込まれないことになり、これで判決が確定
することになってしまいました。
判例として非常に悪しき前例となるでしょう。

今後、夫婦別姓と共に民法の家族規定が大幅に改悪することも予想されます。
注意深く目を光らせていなければ、日本の崩壊は加速するばかりです。


日本、一歩前へ!ポッドキャスト
◆人権侵害救済法ができてしまった世の中を想像してみる
◆なぜ今、人権侵害救済法案なのか?

 


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「知らなかった」で済ませられますか [一日一歩前へ!]

「知らなかった」とは、政治家がよく使う言葉である。
最近では、在日外国人から献金を受けた前原氏、菅氏。
野田首相にも同じ問題が発覚して、同じ言い訳をしている。
「秘書が勝手にやった」と秘書のせいにしたのは、
陸山会事件での小沢氏。

具体的な証拠を挙げることはできないけれど、
ご本人が知らないはずがないし
「知らなかった」で済まされる問題ではない。

曲がりなりにも政界という厳しい厳しい世界で勝ち残ってきた人達のことだ、
この言い訳を聞くと、わたくしはいつも、
まるで子供じみた言い訳だと情けなく思う。
与党の中心はこんな人ばかりなのだから、なおさらだ。

政界に限らず、大人の世界では「知らない」で済まされないことが多い。
わたくし達一般人の世界でも、免罪符にもならない。
勉強不足であることを自ら明らかにするのと同じだ。
百歩譲って今知らないことは仕方がないとしても、
これから知ろうとしないことはあるまじきこと。
社会人として、大人としての信用を失っても仕方がない。

類似型に「あの時はこうなるとは思わなかった」「まさかこうなるとは」
というのもある。
こちらはわたくしのような一般人が、ごく日常的に使っている場合で
わたくしは最近とても気にかかる。

なぜかと言えば、あらかじめ予想できることなのにも関わらず
「まさかこうなるとは」と後になって言うことが結構多いのである。
3月11日の地震発生は予測できないことだ。
しかし津波が起きた場合の凄まじさは予測できたのではないだろうか?
(過去に何度も同じ規模の大津波が起きているため)
民主党政権ができたら、日本はますます沈むと警告する人はいなかっただろうか?

人間は万能ではないから、知れることなど
宇宙の中のほんのひと握りでしかない。
だからわたくしたちは何もかも知っていて、未来を完全に予測できるのだ、
などと言うつもりはない。

けれども、全くわからないということもなく、実は少ない。
なぜなら、人類の歴史、日本でも2600年以上もの歴史の中で
実に様々な経験や智恵を蓄えてきているからである。
それに世界中の歴史を合わせると、それはもう膨大な経験値になる。
それに照らし合わせてみれば、個人の人生から国家の命運まで、
結果を予想できることは多いのである。

歴史を知っているに越したことはない。
しかし知らなくても、今やこれだけ大小のメディアが発達している時代である。
先に未来を察知して、警鐘なり情報なりを流す者が
個人レベルで多数存在しており、
ほとんどの人がその気になれば情報をキャッチできることにも
気づいているはずである。

それでもこのような情報を知らない理由は、
その人が自分の未来にも国の未来にも、興味関心がないからではないか。

予測をしたところでその通りになるとは限らない。外れるかもしれない。
またそれが起きる確率は少ないかもしれない。
そうすると予測そのものに意味がないと考え、
未来のことを考えることをやめてしまう人がいる。
ますます悪循環で、愚かである。

厳しい言い方だけれどやっぱりこれも不勉強、
そして大人として無責任と言えると思う。

政治家のレベルは国民のレベルと同じと言われる。
政治に無関心で投票に行かなかった、その無関心さが
この国を破壊することにいそしむ政権を生んでいるのである。

「知らなかった」では済まされないのはわたくし達も同じである。
もっと歴史を知り、もっと学び、見識を深めていこうではありませんか。


◆日本、一歩前へ!ポッドキャストはこちら
第131回 左翼思想が広まるのはなぜか
第132回 今月の致知を読む 10月号

 


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法治主義の危機 [一日一歩前へ!]

前回の民主党代表選の時のこと、覚えておられるでしょうか。

自民党をはじめ党員資格には「日本国民」を定める政党が多いのですが
民主党員・サポーターの資格は「在日外国人も可」となっています。
民主党員・サポーターにも代表の投票権があることで
党代表、すなわち首相を選ぶことが実質的には外国人による内政干渉と同じ、
つまり憲法違反にあたります。

前回の民主党代表選では多くの人がそれを指摘しました。

そのことをみんな忘れているのか、それとも
菅首相が早く退けばいいと思って見て見ぬふりをしているのか
あるいは、言っても何の意味もないと思っているのか
分かりませんが、今回は誰も言わないのが不思議です。

でも、誰も言わなければ問題ではない、ということにはなりません。
もしそう考えるのであれば、法治主義を放棄しているということになります。

そもそも法とは、なぜ存在するのでしょうか。

どんな政治形態であろうと、政府や統治者など、ごく一部の個人
又は機関に絶大な権力が集中します。
そこで法には、絶大な公権力からわたくしたち個人を守る役割があります。
個人は公という一定の制限を受けつつも、その範囲内で誰もが自由に
生きることができるように、日本国憲法は法の下の平等として
思想及び良心、信教、言論、出版、表現の自由を保障しているのです。

法治国家とは、読んで字のごとく
「法によって治められる国家」のことを指します。
日本は法治国家であることで、明治憲法以来の法の下の平等と
独裁の排除が維持されてきました。
憲法をはじめとした法律群が存在しても、守られなければ
法治国家ではありません。

与党が法を遵守する姿勢が見られなければ、わたくしたち国民も守ろう
という気持ちがだんだん薄れてくるのも無理はありません。

その一方で人権救済擁護法(人権擁護法)案の国会通過を
積極的に進めているのも民主党です。
これで分かるのは、民主党にとって、
法とは権力行使の手段でしかないということです。
これはヒトラーやスターリン等の独裁者と同じ発想です。
それも無理からぬこと、なぜならヒトラーもスターリンも民主党も
みんな左翼なのですから。

案の定、人権救済擁護法案も表向きは「人権侵害による被害に対する救済・
予防等のため」ですが、実態は次のような問題があります。
・「人権を侵害されました」との申し立てがあれば、人権擁護委員は関係者に
 出頭を求めたり立ち入り調査等の措置を取ることができる。 
・人権委員会が「これは差別だ!」と認めたものに罰則を課すことが出来る
 ようになるなど、警察並みの非常に大きな権限を持っている。
・差別に当たるかどうかの判断基準が曖昧である。
・人権擁護委員会は警察とは別個の機関であり、委員は日本国籍でなくても
 構わない。委員の選定基準・方法も不明である。
・人権委員会を監視する機関がない。

この法案が成立すると、自分の表現が「差別だ、人権侵害だ」と見なされる
かもわからず、行き着くところは言論・表現の自由の抑圧なのです。

民主党は時期国会でこの法案を提出することを決定しています。
今期国会は8月31日まで。本当に時間がありません。

日本は、10万人とも30万人とも言われる、ネット監視員がいる
シナのような国家に近づいています。
まず人権救済擁護法案の成立を阻止しなければ、
わたくしたちの自由が侵害されます。
同時に法を悪用し独裁を目論んでいる民主党には
政権を握る資格がないと言わざるを得ません。

わたくし達の安心も、法治国家としての日本も
民主党代表が交代することによってでなく
政権が保守政党に移ることによって守られるのです。


[参考]
新たな人権救済機関の設置に関する基本方針の公表について
(法務省のサイト)
http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken03_00036.html


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運命を左右する「友」選び [一日一歩前へ!]

付き合う相手によって人生がひらけたり、
はたまた人生真っ逆さまになったり、その果てには命を断ってしまった
という話は古今東西、世界中にあります。
そのような話はすべていい教訓となっていて、
わたくしは誰と組むかは慎重に決めるようにしています。

もし自分が弱いならば、相手からの影響を良くも悪くも受けやすくなります。
ですから、まず自分を高める努力は第一です。
そして次に大事なのは相手を選ぶこと。
本質を知って相手を選ぶことが即ち自分の身を守ることになります。
やはり、信頼のおける相手と仲良くしたいと思うのではないでしょうか。

しかし悲しいことに、人の足を引っ張ったり
貶めることばかり考えているような人も、現実にはいます。
そのような人と関わりを持つならば、自分も巻き込まれる覚悟は必須です。

もし、職場やご近所など、よく顔を合わせるところに
いつも筋の通らない自己中心的な言い分ばかりで、言いがかりを付けてくる、
非常に迷惑な相手がいたら、あなたはどうするでしょうか。
しかも勝手に自宅敷地に入ってきたら、どうしますか?

わたくしだったら、迷わず関わらないようにします。
然るべき時には警察に通報するなど毅然と対処しますが、
間違ってもご機嫌をとったり仲良くしたりはしません。
敢えてそうしなくても、その先は見えています。

それは個人に限らず、企業でも相手を選び、信頼を大事にする点では
同じです。社員の数が多く、社会的信用を重視する大企業ほど
厳しく取引先を選びます。
そして国家間でも同様だと思うのです。
日本がパートナーとして選べる候補は
シナ(+韓国)、ロシア、アメリカ(+イギリス)
大国としてはこの3つです。
これは地理的な要素によって決まっており、
明治の昔から全く変わっていません。

民主党政権以降の外交方針によって、日本のパートナーとして不動の地位に
あったアメリカは、優先順位が落とされつつあります。
そして着々と優位になってきているのはシナです。

ここで、日本のパートナーとして手を組むべき相手を見極めてみましょう。
歴史的に、日本はどの国との間にも溝があります。
それをお互いに忘れて歩み寄ることなど不可能ですが、
その傷を受け入れつつも信頼できる相手でなければ、手を組むにふさわしい
とはいえません。
それを見極める有益な方法の一つは、相手国の性格や今迄おかした過失を
検討することです。

まず、アメリカ。民主主義、資本主義国家です。
戦後の日本の最大のパートナーでした。
しかし日本とアメリカの最大の溝は、言うまでもなく2つの原爆投下です。
65年経った今でもそれに対する日本人の憎しみは消えません。
これからも大きな傷として残るだろうと思います。
他に米軍基地の問題、現憲法制定における問題など、問題は数知れず。

次に、シナ。 シナを理解する代表的キーワードは2つ、
「中華思想(シナが世界の中心という勘違い)」と「一党独裁の共産主義」
です。それに加えて近年は領土的野心が顕著で、日本を含めた周辺諸国には
最も油断ならない国でもあります。

ロシアはあまり論じられることがありませんが、シナに似ているところが
多分にあります。すなわち共産主義と、領土を拡大しようとする習性。
民族的には非常に残虐なところも似ています。
ポツダム宣言に調印後、満州などにいた50万人とも言われる日本人が
捕虜となってシベリアに連行されたことは知れ渡っていますが、
多くの非武装の民間人も捕えて殺戮したソ連の罪は知られていません。
それはポツダム宣言で禁止されていたことなのです。
法があろうと平気で無視できる国家、つまり法治国家と言えない点でも
シナとロシアは同じです。

どの国も日本にとって完璧な相手ではありません。
しかしそのどことも組まない、という選択肢はありません。
将来はわかりませんが、今の日本は残念ながら、
防衛力を含めて、それほどの強さを持っていないからです。
仮に米軍基地をすべて撤去したら、ロシアもシナも真っ先に
軍を率いて日本に侵攻してくるでしょう。

となると、どこがベスト・パートナーでしょうか。
わたくしは一つしかないと思います。
アメリカです。

原爆の痛みを思い出し、最も反米感情が高まるこの時期ですが
この三国の中で、アメリカが最も誠実なのではと感じるからです。
シナもロシアも、日本を侵略しようとする意図が明白です。
国際法を無視しても、そのことで非難されてもお構いなしの両国ですが
アメリカは、少なくとも侵略しようとは思っていません。

共産主義を戴く国は、侵略した他民族を迫害し、残虐の限りを尽くします。
ロシアがポーランドやチェチェンに行ったように、
シナがチベットとウイグルに対して今行っているように
日本でも・・・の可能性は大いにあります。

日米関係が悪くなるのは、日本がシナをアメリカよりも重視したときに
その変化を敏感に感じ取るアメリカが見限る、というパターンです。
日米関係の鍵を握るのは日本なのです。

敵を友と見誤ることなく、
真の友を見極める目を持たなければなりません。
目先の利益を与えてくれそうな人が友とは限らないものです。
そういった目先や表面に惑わされない賢さを持って、
生きていきたいものです。

 


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反日組織に、さようなら! [一日一歩前へ!]

わたくし達の身の周りには外国企業や中国製製品があふれ、
それらと無縁でいる方が難しいことです。
けれども大震災で被災した地域の支援の一環として
その地域のものを買うのと同じように、
日本全体を支援する方法があります。

それは反日・左翼企業をボイコットすることです。

実例を挙げると、わたくしが昨年まで使っていた携帯会社は
白いお父さん犬がマスコットのS社でした。
白戸家のCMが流れ、それがいかに日本を軽蔑したものかということを
知っていても使い続けていました。

この他にも、いつも利用しているサービスが反日団体だと気付かなかった
ケースは、まだありました。
(正直に告白すると、生協のことです)

それに気付かなかったのは偏に意識が低かったからで、
自分の信条と実際の生活が一致していないことは
全く言い訳のしようがありません。

それから、衣類では◯ニクロも大量に買っていた時期があったのですが、
キッパリやめています。

正直に告白しますが、携帯も生協も◯ニクロも、
そこからはもう買わないと決断をするのに、とても迷いました。
それは言うまでもなく安いからです。
そしてそこそこ質がいいからです。
特に生協は長年利用しており、質が良く割安なものが買える等
かなり恩恵を受けておりますので、なかなか決断できませんでした。

けれども、当たり前となっているこの行為が、反日企業にわずかでも
利益をもたらし資金の一部となるのです。
それでいいのかという気持ちと、自分の生活の利便性との間の板挟みでしたが
縁を切ることに決めました。

反日企業や左翼に支援されている団体はシナ系、韓国系とは限らず
生協のように公表されておらず、表向きわからない場合が多いです。
経営者の思想と言動、企業の信条などを細かくチェックすると
「何かおかしいな」と思うことに突き当たる。
それを元に更に調べていくと、組織の基盤が共産系だとか、
民主党を支援している企業であるなどと突き止められる、
というように非常に手が込んでいます。

そもそも、起きたら顔を洗うように、食後に歯を磨くように
生活の一部として自分にとって当たり前であることには
疑問を持つことが少ないものです。
それで気がつかないことも多いのではないでしょうか。

しかし企業にとってみれば、そんな人こそが最も理想的な顧客です。
普段の生活で使うということは、他者に浮気する可能性が少なく
長期的に利益をもたらすということ。
一度や二度ではないので、一個人でも侮れない額になります。

国を愛するお気持ちのある方は、この視点で自分が使う企業の姿勢を
ぜひ見直してみて下さい。


◆日本、一歩前へ!ポッドキャストもお楽しみ下さい。
<a href="http://neutralmind.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/124-4eed.html" target="_blank">・第124回 原発安全革命</a>
<a href="http://neutralmind.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/125-84a6.html" target="_blank">・第125回 核について、知ってほしいこと
</a>

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夏バテ知らずの技! [一日一歩前へ!]

この夏の暑さは、本当に尋常ではありませんね。

夏に弱いわたくしは年々にひどくなっている猛暑に耐えられるか、
だんだん自信がなくなってきています・・・。

しかし!
バテていては何もできずに、あっという間に夏が終わってしまいます。
それだけは何としても避けたいところです。

昨年熱中症にかかったわたくしの経験からすると、
バテや熱中症の始まりは第一に水分不足にあるように思います。

わたくしは日頃ミネラルウォーターをよく飲んでいるのですが、
汗とともに失われるミネラルは補給できませんし、
摂らないよりはましですが、喉通りも吸収も格段に悪くなります。

すばやく身体に吸収されるもの、と言えばスポーツドリンクですが、
それ以上の魔法のドリンクがあるのです。

なんと、点滴が必要なほどの脱水症状も回復してしまうほど!
吸収率はスポーツドリンクの約10倍、水の約2倍!

じつはこの魔法のドリンク、自宅でつくれてしまうのです。

水1リットルに、塩小さじ半分、砂糖小さじ4杯
お好みでレモン少々。


これは「経口補水液」と言います。
原材料は違うかもしれませんが医療で点滴に使われる成分と同じ配合です。
ぜひ試しにつくって、冷やして飲んでみて下さい。
意外にまろやかな飲み口、それに「何となく○カリスエットっぽい」感じに
驚かれるかもしれません。

わたくしは早々に経口補水液のお世話になっていますが
確かに身体の回復はとても早いです。
いつの間にか疲れが取れて元に戻っている感じ。
とても自然に回復しています。

それだけでなく、美容にもよく血液もサラサラになり、
二日酔いにもよいのだとか。
材料にも怪しいものはなく安心・安全、いいことずくめです。

ドリンクの材料と配合の基本は上の通りですが、
お砂糖の種類によっては味が甘かったり濃いと思われるかもしれません。
上の配合ですとわたくしには少し飲みにくいので、
水でもっと薄めたりすることもあります。
ご自身で飲みやすいように工夫なさっても大丈夫です。

健康もメンタルにも共通して言えることは、一定の状態をキープすることが
極めて大事です。
特に今年は節電も加わるので体力の損耗も激しいと見込まれます。
病気をしたり落ち込んでしまうと、回復するのに2、3倍以上の時間とエネル
ギーを費やすことになります。ですから自分でできるだけ維持できるように心
がけ、それが「気をつけていたつもり」で終わらないように実践して下さい。

健康状態は気力と繋がっていますから、例えばこのようなドリンクを使って
健康に普段以上に気を配り、そして十分に睡眠を取りましょう。
早寝によって体力はぐんと回復します。

皆様が元気にこの夏を充実し満喫されるように、心からお祈りしております。

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