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新たな大東亜戦争論 [一日一歩前へ!]

歴史を学ぶと分かるようになることに、
「歴史とは覆されることがある」というのがあります。

遺跡の発掘や文書の発見によって新たな真実が浮かびあがれば
その発見を中心にした物事が見えてくるようになります。
そのことで既成の概念がくつがえされ、歴史は変わることが往々にしてあります。

私にとって衝撃だった新たな「発見」がごく最近ありました。
それはまさに大東亜戦争に関するものです。

大東亜戦争を少しご存知の方は、尾崎秀実やゾルゲ、昭和研究会などの
共産主義者が巧みに政治と世論を動かして、日中開戦(1937年)させた
ということをご存知でしょう。

しかし日中戦争開戦当時の首相、近衛文麿もまた、
筋金入りの共産主義者であったことも、皆様はご存知でしょうか。
近衛は東京帝国大学をわざわざ退学してまで
京都帝大のマルキスト、河上肇教授に師事しています。
しかし今まで読んだ本には「近衛文麿=共産主義者」という視点で書かれたものは
保守の本でも一冊もなかったため、そのことを見落としていました。

近衛が共産主義者であった証拠となるのは
首相の座について真っ先に行なおうとしたことが
治安維持法で逮捕された共産主義者達を恩赦することだったことです。
二・二六事件の逮捕者も同様です。
元老・西園寺公望の猛反対で実現しませんでしたが。
これを100歩譲っても、彼が共産主義シンパであったことは間違いなく言えます。

信頼性に欠けるwikipediaでもこの記述があるのに、
なぜ、どこにも近衛が共産主義者で、尾崎秀実らと共に戦争を積極的に推進した
ということが隠されたようになってしまっているのでしょうか。

共産主義に一度染まると、完全に抜ける人はほとんどいないと言われます。
転向を表明しても偽装保守であったり、数十年後に元に戻るのだそうです。
鞍を乗り換えるように簡単には転向できるものではないのが
共産主義の猛毒性であり、恐ろしいところです。
わざわざ東京帝大を退学してまで、京都帝大で河上肇に学んだ近衛文磨が
数年であっさりと転向するものでしょうか?

一つ言えるのは、第一次近衛政権直後に首相になった平沼騏一郎や吉田茂
(近衛上奏文を代筆したと言われる)は、近衛が共産主義者だとは
気付いていなかったようです。
それ程隠すのが上手かったのでしょう。
近衛文麿自身は近衛上奏文で
「政府内部に入り込んだ共産主義者の謀略で開戦に至ったことに
 ずっと気付かなかった」と述べていますが、これも演技の天才近衛文麿が
自身の無実を主張する見事な演技だと推測できます。

この視点で1937~45年の戦争を眺めると、その意義は「自衛のため」ではなく
戦争をすることそのものが目的であり、最終的には日本を共産主義国に
することであったことになります。そのことだけでも受け入れ難いでしょう。
わたくしも今までの歴史観を一旦捨てなければならず数日は茫然自失状態でした。

中川八洋先生以外に保守の中でこの視点で論を張る方は誰もいないし、
そんなことはあり得ない、と一掃することは簡単ですが
検証する価値だけでも十分にあるように思います。


この話を、まさか、と思う方は、まずは
中川八洋先生の『近衛文麿の戦争責任』をお読みくださいませ。

<よもやま話>
その1.資本主義や社会階層を否定する共産主義に傾倒するのは、
 社会階級でいえばどちらかというと下層に属する人がほぼ100%です。
 その中で貴族中の貴族、五摂家の筆頭の家柄の近衛文麿や
 元老西園寺公望の孫である西園寺公一(戦後自ら中国に亡命)が
 共産主義者であるのは、世界でも稀に見る非常に珍しいケースです。

その2.近衛文麿の孫である細川護煕元首相は
 サラリーマン時代新聞記者をしていました。
 その新聞社とは・・・朝日新聞です。
 細川元首相の実弟が断絶した近衛家に養子に入り、近衛家を継いでいます。
 赤の系譜はまだ続く・・・ようです。

 

 


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